オーストラリア移住の現実を移住経験者が解説します!
初めましてルチアといいます!私のオーストラリア移住体験談をシェアしたいと思います!
移住した場所
最初はオーストラリアのBrisbane(ブリスベン)に移住しました。
ブリスベンは年中比較的暖かくて冬もコートはいりません。
その後2017年からは転職がきっかけでメルボルンに引っ越しました。
こちらは週ごとに気温差が激しく、コートは半年以上手放せません。
その後2019年11月に現在のパートナーの住むフランスに引っ越すまでメルボルンで単身、働いていました。
ブリスベンの位置
メルボルン の位置
オーストラリアへ移住した時期
オーストラリアへ移住したのは2004年でした。
日本で社会経験をして2年ほど経った頃でした。
オーストラリアへ移住したきかっけ
外国に住もうと決めたのは、自分の英語力の低さにショックを受けたからです(笑)
少し話が長くなりますが、要するに英語力をもう一度磨くためなのが理由でした。
また大学で語学や外国の生活に興味を持つようになり、卒業後イギリスにて10か月の語学留学をしました。
そのかいあって日常英会話は話せるようになりました。帰国後、地方空港の地上職員として勤務していましたが、当時は外国人のお客様がほとんどなく、さていざ英語が必要な場面で「Yesterday (昨日)」という簡単な英単語さえも忘れて言えない自分に驚きました。
帰国してから2年経っていたとはいえ私にはショックなことでした。
「国際色豊かな場面で働きたい」という自分の夢からも、その時の状況がかけ離れていることに改めて気づき、再度留学を決心しました。
ガイドブックや留学参考本、ネット記事などを読み漁って、どの国がいいか検討しました。
そしてまず自分が希望する条件から考えました。
○英語圏であること
○ローカルの人と同じ時間数(フルタイム)で勤務できるワーキングホリデー制度を利用したい。
(※ワーキングホリデー(通称:ワーホリ)ビザとは、 【18~30歳(国によっては35歳まで)を対象に、2ヶ国・地域間への休暇目的の入国および滞在期間中における旅行・就労を認める制度】 です。1年間有効なビザですが、オーストラリアは2年目申請も1年目の働き方によっては可能です。)
○治安が比較的良い。
こうして候補が上がったのが、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドです。
さらに「気候が穏やか、最低賃金が高い、人が温厚」などと条件を加えるとオーストラリアに的が絞られました。
都市としてブリスベンになったのは単純に一番安い航空券が見つかったからです(笑)。
英語力向上を第一目標としていたので、自分の英語力が伸びて生活に便利という点から、ある程度大きい都市ならどこでもいいかと行き先をブリスベンに即断しました。
オーストラリアへどのような流れで移住したか?
まずはビザを気にしました!
そしてワーキングホリデービザをネットで申請すると2日ほどで許可が下りました。
オーストラリアでの1年目は航空会社で短期の空港地上職や、カフェでアルバイトをしながら生活しました。
ビザを残すところ3か月となった頃、このまま日本帰国したら、またすぐに英語力が落ちるのではと不安がよぎって、学生ビザでの滞在延長を決心しました。
その当時、オーストラリア政府の求める職業リストにあることを2年間勉学すると永住権申請が可能との話を耳にしました。
学生ビザでの数年間だけの滞在よりは、海外で働くという自分の夢も叶うと思い、永住権を目指すことを決めました。
私が選んだのはパティシエです。学校紹介所にてパティシエの職業訓練校の手続きをしていただきました。
オーストラリアでは日系またはアジア系の無料学校紹介所が大きな都市にはいくつもあって便利です。現地生活の情報を手に入れた入り、無料のパソコンを置いているところも多く、学校紹介を目的としなくても利用できます。
学生ビザに切り替えるために一度日本に帰国してすぐにまたその訓練校のあるブリスベンに戻りました。
当時の永住権申請方法では、ポイント制で就学した職種、英語力、自分の年齢などをポイントに換算し120ポイント以上で永住権申請ができました。
学校を卒業する前から日本から取り寄せた書類、英語力検定のIELTSなどを準備し始め、ビザの専門事務所に手続きをお願いしました。
卒業から4か月経った頃、永住権が許可されました。
自分で手続きを行うことも可能ですが、書類不備や記入ミスでやり直しになると2回目からの申請が難しくなると周囲から聞いていたので、専門家に任せてよかったと思います。
ちなみに現在パティシエはオーストラリア政府の求める職種に入っていないそうです。
通常は永住権取得を申請してから2、3年待つ状態だと聞いてはいます。それでも他の方法でオーストラリアの永住権を目指して最近取得した方は少なくありません。
そして永住権取得後にオーストラリア国外に出る場合、永住権を維持するためには取得後、過去5年以内に断続的にでも2年間以上オーストラリアに住んでいたことが条件となりますので、注意が必要です。
5年ごとの更新と言っても、ずっとオーストラリアにいるなら必要ありません。
上記はオーストラリア国外に出て、再度戻ってくるときに必要な出入国許可証(5年間の期限)を取るときの条件です。
私も一時帰国に合わせて永住権の更新と言いますか出入国許可証を取りました。
移住する際に準備したものは(貯金はやビザなど)
渡豪してすぐに就職できるとも思えなかったので貯金は100万円を用意していました。
実際には着いてまもなくカフェにてフルタイムで働き始めましたし、現地は最低時給が日本より高く、住居もシェア(部屋は別)だったので、貯金を崩さずに済みました。
カフェで働くなら「黒いズボン」が必須というアドバイスを現地にいる日本人の方から渡豪前に聞いていて、それをスーツケースに入れて正解でした。
カフェの多い国で学生がよくアルバイトをするのですが、自前の黒いズボンで働くそうです。
私もカフェで働き始めるときに案の定オーナーから言われました。
そして私の場合、Woof と呼ばれる農業系のボランティアをオーストラリアに到着した日から2週間経験しました。そのため、日本から軍手や日焼け止めを用意しました。
WWOOF(ウーフ)とは簡単に言うと、1日4時間程度の労働でお給料はないけれど無料で1日3食と家を提供するというものです。
これは日本にいるときにWoof Australia のホームページで会員になり、求人を募集しているオーナーに事前に直接連絡して契約しました。
船を乗り継いで行く小さな島で、周りにはアジア人が一人もいない状況でしたが、現地の人がとても気さくで優しいので、海外に出て直後の緊張がほどけました。
日本から持ってきたものをまとめると以下の通りです。
○100万円
○1年間の海外旅行保険
○軍手、日焼け止め (オーストラリアの紫外線は日本の5倍以上)
○日本のお土産 (現地のお世話になる方に)
○下着や衣類(黒いズボン含む。体形や好みに合うものが見つからない場合が多いため)
○日本食
毎月の生活費はどのくらいだったか
市街中心地から電車で25分の郊外にある一軒家を他人2人とシェア(部屋は別々で、トイレ、洗面所、キッチンは共同)しました。
2022年1月時点での換算で、当時の月々の生活費は以下の通りでした!
- 家賃 (光熱費、水道費、電気、ガス、ネット込み) 5万5千円
- 食費 (自炊が主で、週2のカフェや外食を含む) 3万円
- 交通費 (定期券含む) 1万円。
- 教養、娯楽費(ジム、小旅行など) 1万円
- 保険医療費 6千円
- 通信費(携帯電話使用料)3千円
交通費ですが、1か月定期券は市街地中心からのゾーン制で、購入したゾーン以内ならバス、トラム、電車など公共交通機関はすべて使えます。どこの都市も似たようなシステムを取っています。
ブリスベン市街では毎日船で通勤した時期もありました。
とてもよい風景が広がっていて週末は船に乗ることを目的とした旅をよくしました。
また、アジア食品店で日本食が手に入りますので、日本食を恋しくなるということもなかったです。
衣類はほとんど買いませんでした。一時帰国で日本からスーツケースに詰められるだけ服を持ってきました。
デザインや価格、サイズなどが好みとあまり合わないためです。ここに住む日本人女性は大概そう思っているようです。
移住してよかったこと
移住してよかったことは、日本にいたらあまり考えなかったかもしれない日本の良いところ、改善すべき点を客観的に考えるようになったことです。
そして日本を含めていろいろな国の政治や歴史にも以前より断然興味をもつようになりました。
オーストラリアはいろんな国とワーキングホリデー制度を結んでいますし、移民も多く、国際色豊かです。
様々な国から来た方と触れ合うたび、今まで自分がその国に対して固定観念で考えていたことにはっと気づかされることがあります。今まで自分の中に描いていたその国のイメージと異なっていたこともあります。
誰かに「日本はどういう国なの」と質問されても詳しく説明できない時があって、もどかしかったです。もっと知りたくなって政治、経済、歴史、伝統行事の意味など日本について改めて学ぶようになりました。
そしてオーストラリアではほとんどの方がおおらかで親切です。知らない人にも気さくです。
そういった人たちと交流できて単純に楽しいなと思います。オーストラリアの公園には無料で使えるバーベキューセットがいくつもあり、週末は朝やお昼からみんな集まってバーベキューをします。
きれいに使われていて、マナーも守られているのは素晴らしいなと感心しました。休日は家族や友達と集まっておしゃべりしながらゆったり時を過ごします。明るくてポジティブな人が多いのは、そんな生活から来ているのかもしれません。
また日本国外の「あるある」な交通機関の大幅遅延でも文句を言う人はおらず(慣れているから?)、忍耐力あるなと思いきや、自分の受ける権利、例えば有給休暇や病気休暇などはしっかり主張して最大限利用する人が多い気がします。
ある意味オージー(オーストラリア人)はタフです。見習いたい部分もあります。
移住して大変だったこと?
現地のサービスは“雑”で時間も守られません。
私も体験し、いろんな外国人からも聞く日常茶飯事なことですが、これは公共交通機関だけでなく、例えば家の工事の予約日時が何度も予定時間直前に遅延変更、引っ越しで業者に頼むと家具や家の壁に大きな傷や汚れをつけて運ばれることもあります。
バスは遅れることもあれば逆に到着予定時刻より5分以上もバス停に早く到着して、予定時間より早く出発することもあります。「ありえない!」と心で叫びたくなることもしばしばです。
プライベートでも約束に30分以上遅れるのは“普通”で、日本と違うこの生活に暮らし始めた頃は心底戸惑いました。
さらにオーストラリアは在来種を外来種から守るため、世界でも特に検疫に大変厳しい国です。
以前母が日本から送ってくれた荷物の中にゴマドレッシングの小瓶が入っていたのですが、ゴマの成分が多いとの理由からそのドレッシングを抜き取られた上、その他の荷物が手元に届くのがかなり遅れました。
受け取った荷物には「ゴマドレッシングをこのまま廃棄するか、送り主に送り返すにはAUS$50かかる」との文書が入っていました。食品を日本から持ち込む際には気を遣います。
到着地の空港のルールや検査する職員によっても対応が異なるのはお役所手続きと同様で、ため息交じりに「なぜ」と感じることは多々あります。
いろんな国籍の方から「日本人は発言をあまりせず、大人しい」とよく言われます。
振り返ると私も最初はそうだったかと思います。
オーストラリアでは「言ったもの勝ち」というか、きちんと主張する国です。泣き寝入りせずに「言うべきことは言う」ことの大切さを学ぶことができました。
これから移住したい方へ向けてのアドバイス
もし外国で住んでみたいという願望があるなら、とにもかくにも「調べる、行動に起こす」ことです。
現在はコロナ状況下にあるだとか、昔と比べて今は厳しいだとか、口をへの字に曲げてあきらめるのではなく、移住のいろんな方法を探して、「どうしてもやる」を決めて行動するときっと道は見つかります。
そのための準備や、下調べを日本でするのは大切だと思います。
自分の経験からですが、どの国がいいのか、自分の現在の状況を踏まえて働いて生活していけそうか、外国に住むことでの良い点、不安な部分などを紙に書いて道筋を立てていくと、もやもやしていたものがすっきりします。
現地で日本人の方とお互いに情報交換することも大変参考になります。
ただし、もし語学向上という目標があるのなら、日本人と常に行動することが日常化してしまうと何のために外国にいるのか分からなくなることもありますので、要注意です。
どの国でも日本の常識には当てはまらないことは多くあります。
最初はきっと戸惑うかもしれませんが「慣れ」もでてきますので、あまり不安には思わずに「移住を楽しくする」ことを常に心に留めて突き進んでいくのが一番だと私は信じています。